東南アジア地域に現地工場を設置し、現地でローカル人材の指導役になってもらおうと、その候補者を日本に研修生として毎年2~3名程度招き入れています。
(現在はコロナ禍にて休止中)
日本に来てからの研修はすべて日本語で行うため、来日までにある程度の日本語力をつけてもらう必要がありました。そこで、現地の日本語教育機関に依頼を掛け、日本語能力試験のN3を目標に指導してもらっていました。その結果を以って来日を決定していましたが、来日後、実際に本人にあって話をしてみると、年によって多少のばらつきがあるものの、正直言って、満足の出来るものではありませんでした。なので、来日後に、仕事をしながら再度、日本語の勉強をしてもらうことにしていました。
来日後の日本語学習はというと近隣の日本語学校に依頼し、内容に関しては、「N3は持っているのだけど、もう少し話せるようになってほしいので」といった感じで発注していました。
ただ、約3か月程度の発注をしてみたものの、実際にはあまり会話力が向上したような実感は得られていなかったのが実情です。
日本語学習の結果を日本語学校に求めると、テストの点数の報告と講師所見の記載程度でした。「会話力の方は?」と聞いてみても、講師所見の範囲に留まり、実際のところ、よくわからなかったです。
そんな中、取引先経由でHDSについて話を聞き、実際に取り扱っている日本語学校に話を聞いてみました。
そこでは日本語学習を始める前に、我々が研修生とのコミュニケーションにおいて何に困っているのかを聞き取ってくれました。その後、モデルビデオを見て目標のイメージを共有し、その目標に向かうための現状把握として、日本語学習を始める前の状態を数値化してくれていました。それはいわゆる文法とか言葉とかだけでなく、会話に関しても、発音であったり文法の正しさであったり、いくつかの項目を対象にレーダーチャートに表されており、目標とするポイントを明確に出来るのが良いと感じました。また、それにより、既に十分であると感じているところはそのままに、もう少し伸ばしてほしいと思うポイントに絞った日本語学習が出来ることで、学習効率も高められます。
そして、掛けた費用に対して、どのような効果が得られたのかが明確になっているので、一担当者として上司への報告には正直助かっています。
今後、社内の外国人社員への人事考課をする上で、その基準の一部に日本語能力がありますが、必要なのは資格ではなく、従業員同士のコミュニケーション力なので、その点では活用の幅も広がると感じました。
日本語講師として、ある企業の日本語教育研修を担当することになりました。
企業の担当者と打ち合わせをした上司からは
「お客様のご要望は、ビジネス日本語の会話力とJLPT対策っていうことだから、よろしく。」
と指示を受けました。
わたしは、それだけでは研修の計画が立てられないし、
そもそも本当にその2つを同時に目指すということでいいのかな、と感じました。
企業の方からもう少し詳しくお聞きしたほうがいいんじゃないでしょうか、と上司に言ったのですが
上司や先輩講師たちは
「そんなことお客様に何度も聞くことじゃないでしょ。」
「それ以上詳しくっていっても企業の方は日本語教育のことなんてわからないんだから」
「いつもやってる教科書で、やりやすい教え方でいいから、準備を進めていって」
とのことで、自分の中では何かもやもやした感じが拭えませんでした。
そんな中、先日HDSについてお話を伺う機会がありました。
モデルビデオや、いくつかの項目に分けられ数値化されたレーダーチャートなどをもとに、企業の方のご依頼にある「日本語力」や「会話力」という言葉の中に隠されている「本当の期待値」を一緒に探り合うことで、目指すべき目標を明確にし、それを授業として再現化していく仕組みに驚きました。
HDSのお話をしてくださった講師の方は「(お客様と目指すところを一致させてからスタートするというのは)当たり前といえば当たり前なんですけどね・・・。」と言っていましたが、それを聞いた私は内心「その当たり前がウチの機関ではなされてないんだよな・・・。」と思いました。
考えてみると、「自分たちは相手と期待値をすり合わせていないんじゃないか」「目標のため、といいつつも結局自分たちの目線でやりやすい方法でやっているだけなんじゃないだろうか」ということに気づいてきました。
HDSは目標を明確にしてくれる評価軸の存在だけでなく、企業の方と日本語教育機関が手を取り合える仕組みや考え方に価値があると私は思います。
日本語力を求めている方のその「日本語力」とは一体何を指すのか、そこを考えず・共有せず自分たちのやりやすい方法で誤魔化すことで、日本語を学習する方々の時間やお金を奪ってしまわないように、当たり前のことが当たり前にできる日本語教師を目指したいと思っています。