財団法人 服部公益財団 / Hattori Foundation

2019年、公益財団法人 服部公益財団は、創設100周年を迎えるにあたり、新たな事業を展開します。過去100年に渡り取り組んできた教育、人材育成、特に、外国人に対する日本語教育と人財育成を中心に、地域の各分野における、人財不足という課題に対して、地域の商工会議所、地方自治体、関係団体と連携してソリューションを提供できるプロジェクト【EGAO(笑顔)】をスタートします。 EGAO=笑顔、Employment support(就業支援) of Global persons(海外人材)Associate(関連) Office(事業所)

服部公益財団ができるまで

初代服部太郎吉

初代服部太郎吉氏は、萬延元年(1860年)11月旧岩津町大門農業中根利喜造氏の二男として生まれ、明治4年(1871年)12歳のとき、岡崎町両町に住む鍋釜及び仏具類修繕を業とする服部佐助氏の養子となる。17歳にして、ゆき女(当時16歳)と結婚して養父の事業を継承し、鋳造機・鞴(吹子)を用いて刻苦精励事業に励む。一方、当地方鋳造界の始祖安藤金右エ門氏の末裔、鋳造界の巨匠安藤金得氏に深く師事して一切の鋳造技術を習得。また、武州川口町、野洲佐野町、広島方面より鍋釜および風呂釜等を買い求めて研究し、広く世に鋳造の技術を求めて研鑽怠りなかった。

明治18年(1885年)26歳のとき、金得氏より伝授された技術と、太郎吉氏独特の創意による研究技術を加え、鍋釜のみならず各種風呂釜、ならびに機械鋳物類の製造を本格的に開始した。

明治42年(1909年)50歳のとき、20年間に築いた事業のうち、機械鋳物鋳造部を二男幸太郎に承継させ、時代の機運に即応した仕事場のあり方、幾十年先見の世相新分野開墾を心中に託し、羽根町若宮30番地に工場を新設。主従協力一致業務の発展つとめ、ついに三州釜の名声と共に本邦第一の産額をあげ、販路は海外にまでおよび岡崎主要生産物のひとつとなった。

慈善と公益財団

初代服部太郎吉氏は慈善心に富み、資をなすに従い、生活に苦しむ人、失業に苦しむ人を救い、教育の充実を図る等の善行を重ねてきたが、遂に大正7年(1918年)10月、資本金6万余円を拠出して、服部公益財団を設立した。※認可は大正8年(1919年)

さかのぼること1年。大正6年(1917年)7月。太郎吉氏が康生町金枡座の前を通ると、有名な社会事業家の山下信義氏を招いた市制施行一周年記念講演会で「富と人生」という演題の講演会が開かれていた。何気なく入場し話を聞いていた中で「人は富を作るという事だけでは立派なる人とは言えぬ。その作った富をどんなに有効に使うかということで決まるものである。」という一節に感銘を受けた太郎吉氏は講演後山下氏に面会。自分の今後進むべき道を尋ねたところ、事業は株式会社にせよ、慈善は財団法人にせよということで落ち着き、太郎吉氏は翌日直ちに壱万円を持参、郡長や郵便局長に相談し、この二つを作ったとのことである。

これが機縁となり、親交を重ねた山下氏は深く太郎吉氏の人格に感銘し「色々の意味で偉い人はあるが、本当にこの人に学べといえる人は服部太郎吉氏だ」と激賞していたとのことである。太郎吉氏は、招魂祭では遺族にサラシを一反ずつ贈るとか、官公庁の使丁を集めて劇場で慰安会を開きくじびきを行うとか、交番所に雨傘を備え付けて無料で貸与する心意をしていたが、財団法人にしてからは、専らこの利息を工業学校の育成補助に注いだ。

財団法人服部公益財団のあゆみ

設立寄附行為

1919年2月6日 内務大臣 床次竹次郎により認可
目的: 寄付行為

【第一章 目的及事業】 (一部抜粋)

第二條
本法人ハ失業者保護、事業資金無利子貸与、公共事業ノ施設竝助成ノ他慈善救済ノ為ニ微力ヲ致シ兼テ寄付者ノ子孫ヲシテ永久ニ其ノ志ヲ継承セシムルヲ以テ目的トス
第三條
前條ノ目的ヲ達セン為本法人ニ於テ行フ事業ノ概目次ノ如シ
  • 一. 勤勉ナル企業家、職工等ノ為ニスル事業資金ノ無利子貸与
  • 二. 事業ノ失敗、一家主働者ノ傷病等ニ基ク企業家、職工ノ家計援助
  • 三. 祭、宗教、慈善、学術、技芸其ノ他公益ヲ目的トスル事業ノ助成
  • 四. 貧困者ノ救済、慰安

岡崎工業高等学校

明治45年(1912年)2月知立町の薬剤師伊豆原甚之助氏が、元碧海郡役所の建物を利用して私立工業学校を創設し、応用科学科をおいたことに始まる。その後、大正9年(1920年)3月岡崎へ移転。私立岡崎工業学校として三河別院の一部に開校した。

大正10年(1921年)7月には明大寺向山の琴の字山にバラックの校舎を設け、独立校舎として授業を続けたが経済的に苦しく経営困難を極めた。廃校の危機を耳にした太郎吉氏は、財団法人の収益をあげて工業学校の援助に向ける事となり、所有地の羽根町奥山へ新築校舎を建設。大正13年(1924年)11月これに移り、岡崎工業学校と称した。昭和13年(1938年)3月愛知県に寄付、現在の愛知県立岡崎工業高等学校となる。

学校法人 服部学園

昭和8年(1933年)5月岡崎村柱町北屋敷・正覚寺にて南部仏教会長石川亮氏が園長となり私立岡崎保育園を開いたが経営困難となり、関係者一同より服部太郎吉氏に保育園経営を要望された。

昭和15年(1940年)園舎を岡崎市羽根町池下に新築移転し、設置者を服部公益財団常務理事服部太郎吉氏に変更、私立岡崎幼稚園と称した。戦災により園舎が全焼するなどしたが、昭和24年3月(1949年)財団法人服部公益財団めぐみ保育園として再建された。昭和38年(1963年)めぐみ幼稚園として認可される。

平成8年(1996年)4月服部公益財団より分離新設し、学校法人服部学園めぐみ幼稚園となる。合わせてめぐみワンダーランド託児室を開設、延長保育並びに3歳以下の教育をスタートした。

平成22年(2010年)めぐみワンダーランド託児室が学校法人服部学園に移管される。

平成28年(2016年)学校法人服部学園めぐみジュニアクラブを新設。小学生(3年生まで)を対象に適切な遊びおよび生活の場と学習・体験の場を提供することを目的とする。

服部学園は、めぐみ幼稚園を中心に、1歳から小学生までの児童を対象に、生きていく力を学び、育むことをビジョンとした事業に拡大した。

YAMASA言語文化研究所

1980年代の高度経済成長に伴い海外からの留学生も増加。外国人のための日本語教育が必要とされるなか、愛知県の大学からの要請もあり日本語学校の設立を企画。

平成4年(1992年)4月日本語教育認定機関である日本語教育振興協会より「財団法人服部公益財団YAMASA言語文化研究所」が認可され開校した。欧米を中心に留学生を募集し、日本文化の学習や日本語教師養成と研修も行い、世界で活躍している日本語教師を多数輩出している。1990年代後半からはインターネットの普及に伴い、毎週入学できる12週間以内の短期コースも開設し、海外の大学と提携してユニークな日本語教育を展開した。平成16年(2004年)4月には日本語教師養成コースを開設。

平成22年(2010年)4月より設置母体を服部公益財団グループの学校法人服部学園に変更し、YAMASA言語文化学院と名称を変更した。同時に、日本で働いている海外の人財を支援する目的で、YAMASA言語文化研究所を再度設立。地元企業内での日本語研修を実施、海外の日本語学校とのネットワーク化を図り、日本語教育のレベルアップを目的としたトレーニング事業を開始した。

暮らしの学校と公益認定

平成18年(2006年)10月1日、地域の人々が健康で笑顔で生きていくことをミッションとして、Mind,Health,and Lifestyle「心の健康」「身体の健康」「暮らしの知恵」を学ぶカルチャーセンター「暮らしの学校」を開校した。

平成24年(2012年)暮らしの学校の事業が愛知県より公益認定を受け、公益財団法人服部公益財団になった。平成29年(2017年)6月、安城市より依頼があり、安城市中心市街地施設拠点地アンフォーレに暮らしの学校アンフォーレ校を開校した。

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